「対話」のイベントに参加してみました
先日『ふくおか対話と学び学園祭』の
オープニングイベントに参加しました。
https://dialogue-learning.net
「対話」と聞いて、
皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?
イベント主催者から
「対話とは、相手との間に虹の橋を架けて
それを渡って行って(そこで終わらずに)
相手の側から見える景色を想像すること」
そう聞かされたときに、
何とも優しい気持ちになりました。
「対話とは、お互いを認め合いながら、
自分の言葉をやわらかく投げ合う
コミュニケーション」とも。
実際、この場に集まる人たちの空気は
とても温かく居心地のいいもので、
そんな「対話をしながら学ぶ」ことは
とても深く心に残るものになりました。
皆さんは日々「対話」をしていますか?
相手の側からの景色を想像していますか?
対話の話を聞きながら、
今度は真逆の話を思い出していました。
今、「魚屋」「八百屋」は放送にふさわしくないとかで
「鮮魚店」「青果店」と言い換えるのだそうです。
それに対して、魚屋の娘だという執筆者が
見当違いの差別を生んでいるのではと書いています。
「自分たちのことを○○屋と呼ぶのをやめてくださいとでも言った
「意識の高い方がご丁寧に忖度してくださった」
「当事者の方を見ず明後日の方向を向き、新たな差別を生み出すキ
ちなみにこの件をNHKのサイトで調べてみると、
「屋」はマイナスイメージの表現がやや多く、
「店」よりも陰影に富んでいる、とあります。
もちろん、他にも多くの検討材料があり、
必ずしも差別につながることだけではないようですが。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/133.html
放送文化研究所の意識の高い方が
ご丁寧に忖度したかどうかは置いておいても、
「対話」という橋をかけたようには見えず
きっと頭の中だけで考えたのでしょう。
せっかくの配慮も、「対話」がないために
マイナスの方向に行ってしまった事例です。
この「不要な配慮」はいろんな場面で見られます。
子育てママに対する配慮(マミートラック)、
マイノリティに対する配慮など、
せっかくの配慮が逆にあだとなること。
「対話」をせずに自分の価値観だけで想像すると
相手側の価値観と大きくズレていること
あるんですよね。
atのマーケティングでは、
この「対話」をとても大事にしています。
顧客の声を訊く
社員の声を訊く
女性の声を訊く
シニアの声を訊く
Z世代の声を訊く
それがプロモーションであっても、
組織運営であっても同じこと。
机上ではなく直接生の声を訊くこと、
相手を束ではなく個として見ること、
様々な意見に耳を傾けることで
新しい何かが生まれることを大事にしています。
ところで、私が理事をしている団体が
こんなイベントをやります。(唐突ですが!?)
『ひきこもりセミナー』11/27sun
http://www.fukuoka-wakamono-pj.org
ひきこもりから脱出した卒業生の
生の声を聞いてみませんか?
ここも「対話」をとても大切にしています。